筆者は最近、ゲームデベロッパーの友人と打ち明け話をした。友人はゲーム理論の仕組みには精通しているが、それをコード以外に応用することはほとんどないと決まり悪そうに認めた。そこで考えさせられた。
ほとんどの人にとって、ゲーム理論を使う場は経済学の授業かビデオゲームだ。この言葉は、冷戦時代の交渉やプレイヤー間の戦いを連想させる。そして、ゲーム理論の名誉のために触れておくと、それは根拠のあるものだ。
ゲーム理論の核心は、自分の選択だけでなく他者の選択によっても結果が左右される場合に、人々がどのように意思決定を行うかを研究することだ。もともとは戦略的な相互作用を分析するために開発された数理モデルだったが、今ではマッチングアプリから企業戦略まであらゆるものに応用されている。
だが現実の生活では、完璧に合理的な人間などいない。私たちは計算するだけではない。感情もある。そこで働くのが脳だ。
認知神経科学の「期待値コントロール」の枠組みによると、私たちは2つの質問をすることで取り組みを調整する。
・報酬はどのくらいか
・報酬を手に入れるために、自分はどの程度コントロールできるのか
上記の質問の答えがいずれも「大きい」であるとき、やる気は急上昇する。どちらかが下がると、私たちはやる気をなくす。研究ではこのパターンがリアルタイムで展開されることが明らかになっている。成功させることができると感じると、脳はより懸命に働く。
これはゲーム理論の核心となる、「結果がどうなるかだけでなく、挑戦する価値があるか」という疑問を反映している。ゲーム理論の視点を仕事で用いると面倒なことになり、時には不必要な感情面での影響をもたらすこともある。だが、ある程度直感的にパターン化され、間違いなく予測可能だという良い点もある。
では、実際にゲーム理論を仕事の場で用いるべきなのだろうか。答えは「イエス」だが、「従うべきもの」としてではなく、常に用いるべきではない。周りの人の言動を識別してラベリングし、すべての相互作用に「勝とう」とすることに集中しすぎると逆効果になりかねない。
仕事の場で用いると冷淡で計算高いと思われる可能性があり、実際はそうでなくても誤解や静かな憤りを招いてしまうことがある。端的にいえば、自分の選択が周りの人にどのような影響を与え、周りの人の選択に自分がどのような影響を受けるかを意識することは重要だが、意識が行き過ぎた非生産的な状態に陥ることも危険なほどに簡単だ。